正確に言うと、「叶ったかどうか、確かめようがない」が正しいです。「幸せになりたい」も、その一つです。

当時の僕は、これを目標だと思っていたはずです。でも、これは目標の体裁をした、ただの願望です。

理由は感情論ではなく、わりと単純な構造の話です。

そもそも、ジャンル分けができていない

目標が成立するには、達成を判定する尺度が要ります。これは大前提です。そして尺度は、ジャンルによって違います。お金の尺度は金額や利回り。人間関係の尺度は信頼や頻度。健康の尺度は数値や体感。時間の尺度は可処分時間そのもの。

ジャンルが変われば、測るものさしそのものが変わります。

一方、「幸せ」という言葉は、単一のジャンルではありません。お金、人間関係、健康、時間、達成感、いろんなジャンルを一語で束ねた総称です。

ここが問題です。

ジャンルを分けないまま「幸せになりたい」を追いかけるというのは、シューティングゲームとパズルゲームとRPGを、同時に一つのコントローラーで、一つの得点表に記録しようとするようなものです。

ジャンルが違えば勝利条件も違うのに、その違いごと一つの言葉に押し込めてしまっている。測定できないものは、達成の定義ができません。達成の定義ができないものは、再現性を持って追いかけられません。

10年前の自分が「幸せになりたい」と願って手が止まっていたのは、意志が弱かったからではなく、そもそもジャンル分けという最初の工程を飛ばしていたからなのだと、今は思います。

クリア狙いとハイスコア狙いは、別のゲーム

昔、シューティングゲームをよくやっていました。クリアが目標なら、戦闘は避けたほうがいい。無駄な被弾のリスクも、時間のロスも、クリアという一点においては邪魔でしかありません。でも、それでは絶対にハイスコアは出ません。ハイスコアを狙うなら、あえてリスクの高い敵と戦い、タイムボーナスを稼ぎにいく必要がある。回避が正解の場面で、あえて突っ込む選択をしなければならない。

同じ画面、同じ操作、同じ時間。なのに、目標が違えば、正解が真逆になる。これは人生でも同じです。「幸せ」を一つの言葉で扱っている限り、今の自分がクリアを目指しているのか、ハイスコアを目指しているのか、ジャンルすら分からないまま操作していることになります。ジャンルが分からなければ、正解も選びようがありません。

10年前の自分は、たぶんこのコントローラーの持ち方すら決めずに、ただ画面に向かっていたのだと思います。

尺度を決めるということは、犠牲を決めるということ

マキャベリの君主論に通じる話だと思っています。あれは君主のための処世術というより、「成果を定めた者は、必ず何かを切り捨てる」という前提に立った本だと理解しています。尺度を決める、というのは、実はそういうことです。

タイムを削るなら、丁寧さを削る。安全を取るなら、スピードを削る。何かに向かって成果を上げるということは、その裏で必ず何かを損切りしているということです。損切りなしの成果はない。これは冷たい話のようで、実はそうでもありません。むしろ、損切りを先に決めておかないから、あとで苦しくなるのだと思います。

悩むというのは、損切りが足りていないということ

10年前の自分に伝えるなら、たぶんここが一番大事なところです。悩んでいるとき、たいてい「どれも手放したくない」状態になっています。クリアもハイスコアも、両方欲しい。仕事の評価も、家族の期待も、自分のペースも、全部満たしたい。でも、シューティングゲームで両方を同時に満点で狙うことはできません。悩みの本質は、選択肢が多いことではなく、切り捨てる算段(損切りの想定)ができていないことなのではないか。今はそう思っています。

損切りの手前にある、度外視という選択

損切りと少し似ていて、実は違うものがあります。度外視です。損切りは、すでに投じたものを、途中で手放す判断です。度外視は、それより手前の判断です。そもそも検討のリストに乗せない。最初から数に入れない。

高得点を出している人を見ていると、選択肢を全部並べた上で選び抜いているというより、最初から検討すらしていない項目が多いように見えることがあります。だから迷いが少なく、進むスピードが落ちない。周囲にどう思われるかを度外視する。趣味や交友関係の広さを度外視する。完璧な体調管理を度外視する。

度外視した項目は、あとになって惜しくなることもあります。それでも、その惜しさごと引き受けて進むから、尺度に向かって速く動けるのだと思います。損切りが「途中でやめる判断」なら、度外視は「最初から数えない判断」。10年前の自分に言うなら、悩む前に、まず度外視できるものは何か、リストにしてみろと言うと思います。

ただし、これはあくまで「切り捨てられるもの」の話です。切り捨てられないものも、当然あります。

どちらかを捨てろ、ではない

お金と人間関係が、いい例です。「お金のために人間関係を犠牲にしろ」とも、「人間関係のためにお金を諦めろ」とも言えません。どちらも生きていく上で欠かせないジャンルで、二択で片方を選ぶような話ではないからです。

ここで必要なのは、選ぶことではなく、比重を先に決めておくことだと思います。お金にも人間関係にも全力を注ぎたい、というのは気持ちとしては自然ですが、リソースには限りがあります。だから、たとえば「お金が6、人間関係が4」というふうに、自分の中であらかじめ重心を決めておく。そうすれば、実際の場面で毎回ゼロから悩まずに済みます。

これは度外視とは別の作業です。度外視は検討リストから外すこと。比重を決めるのは、リストに残したジャンルどうしに、優先順位という重みをつけることです。10年前の自分は、たぶんこの二つを混同していました。「どちらも大事にしたい」という気持ちだけがあって、比重を決めないまま両方に全力を注ごうとして、結局どちらも中途半端になっていた気がします。大事にすることと、比重を決めないことは、別の話なのに。

他人の期待外れという、避けられないコスト

自分の目標を明確にするということは、誰かの期待に応えられない場面が出てくるということでもあります。ここを誤魔化して、取り繕ってしまうと、せっかく積み上げた進捗が、自分の尺度の上では意味をなさなくなります。

クリア狙いで進めているのに、周囲の「ハイスコアを出してほしい」という期待に合わせて時々寄り道をしていたら、どちらの得点表にも残らない結果になってしまう。期待外れになる可能性を、あらかじめ織り込んでおくこと。これも一種の損切りなのだと思います。

層別、という作業

結局、「幸せになりたい」という一文を、そのまま追いかけても再現性はないのだと思います。必要なのは、まずジャンルに層別すること。お金、人間関係、健康、時間。それぞれに違う尺度があり、それぞれクリアなのかハイスコアなのかも違う。そのうえで、切り捨てられるジャンルは度外視し、切り捨てられないジャンルには比重を決める。答えを出すことより先に、まずこの層別ができているかどうか。10年前の自分に聞くとしたら、そこから始めると思います。「幸せになりたい」の中身を分解できたとき、たぶん初めて、目標と呼べるものになります。

■プロフィール ダボ猫

大手製造業を経て、現在は販売業に従事。7年ほどの資産形成・実践経験をもとに、お金・健康・時間という三つの資産をものさしに、地方在住の視点で発信しています。当ブログ「ダボ猫チャート」では、節約・中古品活用・制度利用・投資といったテーマを、なるべく煽らず、淡々と綴っています。

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