正直に言うと、チャートを見ない日はほとんどありません。資産は評価額(今いくらの価値があるかという数字)です。毎日上がったり下がったりしますし、手元にある現金ではありません。不安がゼロになったわけではありません。それでも、以前より気持ちは少しラクになりました。
日常の辛さが、相対的に小さくなりました
以前は、誰かの言葉や評価が気になることがありました。ちょっとした噂や、空気の変化。必要以上に考えてしまうこともありました。
ですが今は、心のどこかで思えます。「まあ、大丈夫だろう」「別にいいか」と。チャートが好調なとき、逆に不調なときなんかは「それどころじゃない」なんて思うこともあるのです。これは、いちいち気にしていられなくなった、といった感覚が一番しっくりきますね。
それは自分の中に、日常とは別の“長いテーマ”があるからかもしれません。コツコツ積み立てること。時間(長く続けること)を味方にすること。少しずつ積み上がっていくこと。資産評価額が増えるたびに、日常の辛い出来事が相対的に小さくなっていきます。消えるわけではありません。ですが、飲み込まれにくくなります。
資産形成をしているからといって、未来が保証されるわけではありません。それでも、「ある」という感覚は、想像以上に心を支えてくれます。いざというときの余白。それが、心のクッションになります。時間を掛けて積み上がった現在の評価額が、最初の元手を割り込む程に下落するのも考えにくいものです。ですから過去という起点から遠く離れる程に、安心できる。時間は最大の要素だったのです。
資本主義社会でお金があるということ
資本主義社会において、お金があることは、善(良いこと)と単純に言い切れるものではありません。ですが、有利ではあります。選択肢が増えます。焦らずに考える時間が持てます。無理をしなくてもいい場面が増えます。その「余裕」が、精神的な安定につながっているのだと思います。そして、僕にとって、お金はあくまで家族の幸せの為のツールですから、決してお金に惚れてはいけないというのは、根底に置いています。
今、無理に何かを変える必要もないと思いますが、今が少し辛いと感じる人にとって、“長い目線で積み上がっていく何か”を持つことは、思っている以上に支えになるかもしれません。金額の大小ももちろんですが、積み上がっていく感覚そのものが、心を落ち着かせてくれます。日常の辛さは、少し小さくすることはできるのだと思います。
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